受け入れる準備

2011年10月4日 日常
便利や快適さを求めて発展してきた社会が崩壊するとしたら、何をしなければならないのだろう。

実際に崩壊するかはわからないが、何か手を打たなければならないのは確かなようだ。

現在の生活の便利さや快適さは、本当に必要なのかを考えなければならない。

夏でも涼しく、冬では暖かく、そんな環境で生活できることは、今の僕の中では幸せとかんじられる。

熱中症で亡くなる人の人数も、技術の発達により、確実に減っていると思う。

でも、「健康に生活できる範囲で」と考えると、少し「我慢」してもいい場面はあると思う。
むしろ、その我慢のほうがより「健康」なことがあるはずだ。

そもそも、これって本当に「我慢」なのだろうか。

暑い夏や、寒い冬って別におかしな表現ではない。


我慢だと思うような社会では、エネルギー資源がいくらあっても満ち足りない欲求であふれかえる。

よくかんがえると、誰かが、あるはずの無い欲求を作り出している気がする。
技術の進歩は、こうあるべきじゃない。

どんな場面であれ、研究をすることは必須であると思う。
でも、方向性を見失うわけにはいかない。

そろそろ、どの欲求が、本当の欲求ではないのかを、考えなければならないと思う。

「我慢」ではない我慢を、平常だと思うような日常に戻さないといけないと思う。


という、評論家っぽい日記も書いてみたりします^^

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nim

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